ハンチントンは、『軍人と国家』の第四章において副題「理論としてのシビル・ミリタリー・リレーションズ」を附して、シビリアン・コントロール全般わたって詳しく論じている。この中で、彼の理論の第二の特徴をなす「不偏的シビリアン・コントロール」の概念が提唱される。
議論はまず、シビリアン・コントロールには大別して二つの方式が存在することを示すことから始まる、
一.シビリアン・コントロールの諸形態
社会における軍の役割が「シビリアン・コントロール」の観点からしばしば議論されてきた。それでもこの概念はこれまで満足に定義されるには至っていない。シビリアン・コントロールというのは多分、文民集団と軍人集団の相対的な権力の強さに関係していると思われる。さらにシビリアン・コントロールは、軍人集団の権力が弱体化される程度に応じて、その実現可能性が増大するように思われる。
従ってシビリアン・コントロールを定義する際の基本的な問題は―如何にして軍の権力を最小限に抑えることができるか?ということである。一般には大別して二つの解が存在する。偏向的(subjective)および不偏的(objective)シビリアン・コントロールである。
このうち第一の偏向的シビリアン・コントロールについて、
偏向的シビリアン・コントロール―文民の権力の最大化
軍の権力を最小限に抑える最も簡単な方法は、軍との関係において文民集団の権力を最大化することであるように思われる。しかし文民集団の数の多さ、多様な特質、それに相反する利害等の要因が介在するため、軍に対する文民集団全体としての権力を最大化することは事実上不可能である。従って文民の権力を最大化するということは、常にある特定の文民集団または複数の特定の文民集団の権力を最大化するということを意味する。これは取りも偏向的シビリアン・コントロールを表す概念に他ならない。
ここで一般概念としてのシビリアン・コントロールは、一つ以上の文民集団の決められた特定の利益を表すものとされている。偏向的シビリアン・コントロールは従って、文民集団の間における権力関係を内包し、一つの文民集団が自身の権力を強化する一手段として、他の文民集団を犠牲にして推し進める。かくして偏向的シビリアン・コントロールは、その実現そのものを目的とするよりは、むしろ「州の権利」のような道具的なスローガンと化すようになる。
この州の権利というような旗印は通常、国家レベルよりは州レベルで権力を握っている経済的集団が、中央政府の中で現に権力を握っている他の集団との闘いにおいて掲げる類の旗印であるが、「シビリアン・コントロール」というスローガンもこれと同様に、軍に対する権力を保持していない文民集団が、権力を保持している他の文民集団と闘う際に、利用されるスローガンとなる。州の権利というスローガンと同じように、シビリアン・コントロールというスローガンも一般に様々な罪悪を覆い隠すため、どの文民が統制すべきであるかを常に問い続けることが必要である。
西欧社会においては、ごく近年を除いてシビリアン・コントロールはこの偏向的な意味においてのみ存在してきた。偏向的シビリアン・コントロールはまさに、プロフェッショナルな将校団が存在しない場合に限って成り立ち得るシビリアン・コントロールの形態であるが、歴史的に観れば、それは特定の政府機関、特定の社会階級、それに特定の立憲形態の権力の最大化を表すものと認識されてきた。
ここで、偏向的シビリアン・コントロールの3形態について、ハンチントンの分析内容を要約して枠線ボックスで示しておこう。
偏向的シビリアン・コントロールの3形態
政府機関によるシビリアン・コントロール 十七世紀および十八世紀のイギリスとイギリス領アメリカでは、軍は一般に君主の統制下にあり、議会の諸勢力が君主に対して自らの権力を拡張しようとしていた。しかし通常彼らが実際に望んでいたのは、シビリアン・コントロールよりはむしろ軍に対する議会統制を最大化することであり、同時にその議会統制は、軍の権力を弱めるための手段としてだけではなく、王の権力を制限する狙いをも合わせ持っていた。
現在では合衆国において、議会と大統領がこれと類似の闘いに明け暮れている。大統領はシビリアン・コントロールを大統領の統制のことであると考えている。一方議会はシビリアン・コントロールを議会の統制のことであると考えている。しかし議会と大統領の両者ともその関心の重点は、基本的には文民と軍の間の権力配分よりは、むしろ行政府と立法府の間の権力配分にある。
社会階級によるシビリアン・コントロール 十八世紀および十九世紀には、ヨーロッパの貴族階級と中産階級は軍の統制を我が物にしようと互いに争っていた。しかし全般的に貴族階級が軍を支配していたため、進歩的な中産階級の集団はスローガンを最大限に利用したり、貴族の統制をミリタリー・コントロールであると決め付けたりしていた。一方軍の諸機関は社会の全領域に浸透していた両階級の争いに対して、精々戦場を提供する程度で、ただ傍観を決め込んでいた―彼らの問題意識は単に、貴族の利益と自由主義の利益のどちらが軍の中で優勢を占めるべきか、という程度の安易なものであった。
立憲形態によるシビリアン・コントロール 通常、シビリアン・コントロールは民主主義的な政府と結び付けられ、一方ミリタリー・コントロールは独裁的政府や全体主義的政府と結び付けられる。しかしながら、実際この論旨は必ずしもすべて正しい訳ではない。何故なら民主主義国家においても、軍は民主的な政府という合法的な制度と、民主的な政策という合理的な手続きを介して、シビリアン・コントロールを弱体化し、大きな政治権力を獲得することができるからである(例えば第二次世界大戦時の合衆国)。
他方全体主義体制においても、軍の権力は、将校団を互いに敵対する部門に分割したり、政党の武装組織や特殊な国内軍を作ったり(ナチスの武装親衛隊(Waffen-SS)やソ連内務省(MVD))、軍の正規の階級組織の中に別の独立した指揮系統を浸透させたり(ソ連の政治人民委員(political commissar))、あるいはその他の各種技巧を使って、弱体化することが可能である。
恐怖、陰謀、監視、暴力は、全体主義国家において文民が軍を支配するのに用いる手段である。これらの手段を十分に冷酷に用いるならば、事実上軍の政治権力を完全に抹消することが可能である(例えば第二次世界大戦におけるドイツ)。このように全体主義国家でも偏向的シビリアン・コントロールが成立し得るのである。以上述べたように、偏向的シビリアン・コントロールはある特定の立憲制度に固有のものではないのである。
上記の第二次世界大戦時の合衆国では、軍の最高司令官であるルーズベルト大統領は、戦争の主要な戦略的、政策的課題はすべて、大統領への直接アクセス権を持つ統合参謀本部の限られたリーダーと決定し、陸海軍の各長官、国務長官をはじめ主要文官は排除されていた(第十二章 第二次世界大戦―権力の錬金術)
引き続きハンチントンは、シビリアン・コントロールの第2の形態不偏的シビリアン・コントロールについて論じていく、
ミリタリー・プロフェッションが新たに出現したことによって、シビル・ミリタリー・リレーションズの問題が変質し、文民集団が軍に対抗して自身の権力を最大化させようとする運動が複雑化するに至った。
文民集団は今や、自身と似たような目標を持つ他の文民集団と対決するだけでなく、この新しい独立した機能的な軍事的要件、ミリタリー・プロフェッションとも直面する必要に迫られたのである。偏向的シビリアン・コントロールという特定の形態を存続させようと主張し続けるためには、この要件を拒否するか変質させる必要があった。
そのため、この機能的な軍事的要件とそれ以外の社会との関係を規定するために、なんらかの新しい原理を導入する必要が生じてきた。しかし相変わらず、各集団はシビリアン・コントロールを自身の利益に有利な権力の配分として定義しようとしたため、十八世紀および十九世紀の政治においてシビリアン・コントロールの本質が明らかにされなかった。しかしながらミリタリー・プロフェッションの台頭は、偏向的シビリアン・コントロールという特定の形態を時代遅れのものとし、シビリアン・コントロールのより意味のある新定義の出現を可能としたのである。
不偏的シビリアン・コントロール―ミリタリー・プロフェッションの最大化
不偏的意味におけるシビリアン・コントロールは、ミリタリー・プロフェッショナリズムを最大化するということである。より正確に言えば、それは将校団の構成員にプロフェッショナルな姿勢と行動が最もよく発現するように、軍人集団と文民集団の間の政治権力を均衡させる、ということである。不偏的シビリアン・コントロールは従って偏向的シビリアン・コントロールと正反対の概念である。偏向的シビリアン・コントロールは軍を文民化し、彼らを国家の鑑とすることによってその目的を達成する。対して不偏的シビリアン・コントロールは、軍を軍事に特化させ、彼らを国家の道具とすることによってその目的を達成する。偏向的シビリアン・コントロールは様々な形態で存在するが、不偏的シビリアン・コントロールは只一つの形態でしか存在し得ない。
不偏的シビリアン・コントロールのアンチテーゼは、軍が政治に関与することである―軍が機関的、階級的、そして立憲的なレベルの政治活動にかかわり合うに従って、シビリアン・コントロールは衰勢を辿る。偏向的シビリアン・コントロールは他方、このかかわり合いの存在を前提とする。
不偏的シビリアン・コントロールの核心は、自律的なミリタリー・プロフェッショナリズムの存在を認めることである―偏向的シビリアン・コントロールの核心は、独立した軍の領域の存在を否定することである。歴史的に見ると不偏的シビリアン・コントロール実現の要求は、ミリタリー・プロフェッションに源を発しており、偏向的シビリアン・コントロールの要求は、軍事に関して自らの権力の最大化を望む多種多様な文民集団から生まれたものである。
如何なるシビリアン・コントロールの制度においても、本質的に重要なことは只一つ、軍の権力を最小限に抑えることである。不偏的シビリアン・コントロールは、軍をプロフェッショナル化し、政治的に無菌状態にし、そして中立不偏とすることによって、軍の権力の抑制を達成する。その結果、すべての文民集団に対する軍の政治権力が可能な限り低レベルに抑えられ、同時に、ミリタリー・プロフェッションが存在するために必要な軍の権力の基本要素は守られることになる。
高度にプロフェッショナルな将校団は、国家において正統な権威が認められている、すべての文民集団の願望を適えることが可能となる。そしてこのことによって、実質的に各種の文民集団間の政治権力の配分に関係なく、軍の政治権力に明確な境界が設定されることになる。
しかしプロフェッショナリズムが最大となる点を超えて更に軍の権力が抑制されると、結果的にある特定の文民集団だけが恩恵を被り、他の文民集団との闘いにおいて、その特定の集団の権力だけが強化されることになる。従って、ミリタリー・プロフェッショナリズムを最も高める政治権力の配分は、同時に、文民集団の間で軍を特別扱いすることなく、軍の権力を最低レベルに抑制することを可能とする。
このことによって不偏的意味のシビリアン・コントロールは、すべての社会集団が承認できる、政治的に中立なシビリアン・コントロールの唯一の明確な基準を確立することが可能となる。その結果シビリアン・コントロールは、集団の利益を覆い隠す政治的スローガンのレベルから、集団の実態に影響されない分析概念のレベルにまで高められることになるのである。
引き続きハンチントンは、不偏的シビリアン・コントロールに関する議論を深めていく、
二.シビル・ミリタリー・リレーションズの二つのレベル
如何なる条件がミリタリー・プロフェッショナリズムと不偏的シビリアン・コントロールを最大化するのであろうか? 答えはシビル・ミリタリー・リレーションズの二つのレベル、権力レベルとイデオロギーレベルの関係で決まる。権力レベルに関しては主要論点は、将校団の権力が社会の種々の文民集団の権力に対し相対的に如何なる関係にあるかにある。イデオロギーレベルに関しては主要論点は、プロフェッショナルな軍の倫理が社会で普及している各種の政治的イデオロギーとどの程度融和性があるかにある。
そのため前者に関しては、軍と文民の権力を評価するための基準が必要となる。後者に関しては、プロフェッショナルな軍の倫理が、政治に関する民意のスペクトルの中でどの辺に位置するかに関して、何らかの理解が必要となる。
ここで、ハンチントンが示す権力レベルに関する主要な論点「軍と文民の権力を評価するための基準」を、要約して枠線ボックスに示しておこう。
軍と文民の権力を評価するための基準
権力は他の人々の行動を支配する能力である。権力関係は少なくとも二つの次元を持つ。
第一に、権力の強さの程度、すなわち権力の大きさである。
第二に、権力の及ぶ範囲または場所である。
一般に権力は、公式の権威と非公式の影響力という二つの形態で存在する。
第一の形態である公式の権威は、ある定められた社会構造の中で二人の人間が占めるそれぞれの地位に基づいて、一方の人間がもう一方の人間の行動に対 して及ぼす支配を意味する。権威というのは個人に固有なものではなく、身分と地位に付随した属性である。権威は従って秩序正しく体系化された権力であり、合法的な権力である。
第二の形態である非公式の影響力は、特定の個人または集団そのものに固有のものである個性、富、知識、信望、友情、親類関係、あるいはその他様々な要因から生じるものである。
ハンチントンは上記の権力の二形態、「公式の権威」と「非公式の影響力」をさらに掘り下げて示している。
公式の権威 シビル・ミリタリー・リレーションズにおける権威の形態を分析する際に、鍵となる評価基準は、軍人集団と文民集団の権威の相対的なレベル、相対的な統一性、それに相対的な範囲である。ある集団の権威のレベルがより高く、その体系の統一性がより強く、さらにその権威の範囲がより広ければ、その集団はより強力となる。
・権威のレベルの高さ:将校団が階層構造の頂点に置かれ、他の政府機関がそれより下位に置かれる場合、将校団の権威レベルは最大となる。軍が軍以外の諸機関に対して権威を保持しておらず、これらの諸機関もまた同様に軍に対して権威を保持していない場合、二系統の並列の権威体系が存在することになる。将校団が事実上究極の権威を持つ唯一の他の機関に従属する場合、将校団は主権者と直接的アクセスを保持する。将校団と主権者の間に権威レベルが一段階だけ介在する場合、軍の権威レベルは大臣統制と呼ばれる。
・権威の統一性:一例として、陸、海、空に分れていた将校団が、包括的な幕僚と軍最高指揮官の統制の下に統合されるならば、他の政府機関に対して将校団の権威を高めるのに役立つ。
・権威の範囲:もし参謀長が農業助成金に関しても政府に忠告する権限を与えられるならば、その権威の範囲はかなり拡張されたものとなる。逆に、政治的にほぼ同じ権威レベルにある複数の文民機関または集団が並存して活動していて、軍の権威が限られた範囲内に制限されている場合、その制限された程度に応じて、軍は横割りのシビリアン・コントロールを受けることになる。
非公式の影響力 将校団の影響力は次の四つの指標で大まかに評価することができよう。
(1) 将校団とそのリーダーの他の集団とのつながり:一般に三つのタイプがある。第一は、将校団に入る前の将校の活動から生じる軍務以前のつながり、第二は、将校が現在の軍務を遂行する間に広げる現職中のつながり。第三は、将校団を脱退した後の将校の一般的活動から生ずる軍務以後のつながりである。退役時にある特定の仕事に就くか、あるいは国の特定の地域に定住する場合である。
(2)将校団とそのリーダーの権威の影響を受ける経済的、人的資源:軍事向けの生産量の増大、軍で働く文民数の増大に伴い、将校団とそのリーダーの影響力は大きくなる。
(3)将校団と他の集団との間での階層的な人的相互浸透:将校団のメンバーが非軍事的な権力機構の中で権威ある地位に就く場合、軍の影響力は強くなる。逆に非軍人が将校団内の各種地位に進出するに従って、軍の影響力は弱くなる。
(4)将校団とそのリーダーの信望と人気:彼らの世論に対する受けの良さ、また社会の幅広い部門・集団の軍に対する好意的な態度は、軍の影響力を左右する鍵となる。
次いでハンチントンは、「軍の精神」と「文民の精神」の間に存在する関係について論じていく。
権力闘争にかかわる文民集団が様々存在するのに対応して、様々な文民の倫理または文民のイデオロギーが存在する。・・・・「文民の」という言葉は単に非軍事的であるということを指しているに過ぎない。従って只一つの「文民の精神」が存在する訳ではなく、「軍の精神」と「文民の精神」の間に単純な二極分化が存在している訳ではない。・・・・従って軍の倫理は特定の文民の倫理とだけしか比較することができない。
軍と文民の精神の相互の関係を明らかにしたあと、軍の倫理と比較する文民の倫理として、その一種である政治的イデオロギーの四つの形態――自由主義、ファシズム、マルクス主義、保守主義―を挙げている。「政治的イデオロギーは、国家の諸課題の解決を志向した一連の価値観と姿勢の集合体であり、上記の四つの政治的イデオロギーは西欧文化の中で最も重要な位置付けにある」としている。
これら四つの政治的イデオロギーに対するハンチントンの詳細な解析は省略するが、ハンチントンは全体の議論を要約して、「軍の倫理と自由主義、ファシズム、マルクス主義の間には固有の相違と対立が存在するが、軍の倫理と保守主義*の間には固有の類似性と融和性が存在する」と全体の議論を総括している。そのうえで社会で支配的な政治的イデオロギーと軍の倫理の相互作用を解析していく。
*保守主義:一八世紀のイギリスの哲学者エドマンド・バーク(Edmund Burke)が主張する政治・社会学の思想。従来からの伝統・習慣・制度・考え方を維持し、社会的もしくは政治的な改革・革新・革命に反対する思想のこと。参照:ウィキペディア「保守」
三.不偏的シビリアン・コントロールの均衡
ミリタリー・プロフェッショナリズムと不偏的シビリアン・コントロールの最大化をもたらす、文民集団と軍人集団の間の権力の配分は、社会で支配的なイデオロギーとプロフェッショナルな軍の倫理との間の融和性の如何によって変化する。社会のイデオロギーが本質的に反ミリタリー的な場合(自由主義、ファシズム、マルクス主義)、軍が実質的な政治権力を獲得する唯一の道は、自らのプロフェッショナリズムを放棄して、その社会で支配的な価値観と姿勢を堅く守ることである。逆にこのような反ミリタリー社会において、軍がその権威と影響力を放棄し、社会の一般的な活動から隔離された、弱い、孤立した存在となれば、ミリタリー・プロフェッショナリズムとシビリアン・コントロールは最大化される。
これに対し軍に好意的なイデオロギーが優勢な社会(保守主義)では、軍の権力は高度なプロフェッショナリズムと矛盾をきたすことなく、一層拡大するであろう。従って不偏的シビリアン・コントロールが実現するかどうかは、軍の権力と社会のイデオロギーとの間に適切な均衡が実現するかどうかに懸っている。
ハンチントンはまた次のように述べている。軍に理解のない社会で軍が権力を獲得するために軍が行う譲歩―プロフェッショナリズムを放棄し、その社会で支配的な価値観と姿勢を堅守する―は、一般的現象として見られる「権力の緩和効果―権力は原則を溶融させる効果―を軍にもたらし」、同時に「権力の希薄化効果―柔軟で、順応性に富み、容易に譲歩する軍人が広く支持を獲得する効果―をもたらす」。
要するに権力は常にある価格で購われるものであり、軍が払わなければならない権力の対価は、軍の倫理と社会で支配的なイデオロギーとの間のギャップの大きさによって決められるのである。非保守的な社会において軍人が権力を獲得すると、そのことは軍人の立場にどのような効果をもたらすであろうか。・・・・それはちょうど、ミヘルス(Michels)がその著書『政党(Political Parties)』の中の一節で述べているように、急進論者が権力を獲得した場合に味わう酔い覚めの効果―社会主義者は勝利を収めるかもしれないが、社会主義は決して勝利を収めないであろう―に似ている。・・・・将軍や提督は勝利を収めるかもしれないが、プロフェッショナルな軍の倫理は勝利を収めないであろう。
確かに政治権力の手なずけ効果のため、彼らは好ましい自由主義者、好ましいファシスト、あるいは好ましい共産主義者となるであろう。しかし同時に彼らは不幸なプロフェッショナルになるのである。何故なら、プロフェッショナルな能力とプロフェッショナルのおきてを厳守することによって得られる満足感が、権力、官職、富、人気によって得られる満足感と、非軍事的集団から表される称賛によって、置き換えられてしまうからある。
さらにハンチントンは、普遍的シビリアン・コントロールを実現し、その均衡状態を維持することの難しさを、歴史的事実を挙げ強調して行く。極めて重要な部分であるので枠線ボックスに纏めておこう。
普遍的シビリアン・コントロールの実現・維持の難しさ
ほとんどの社会において、権力、プロフェッショナリズム、それにイデオロギーの間の関係はダイナミックに変化する。それは、種々の集団の相対的な権力にまつわる有為転変、多様に変遷する世論と思想の動向、加えて国家の安全保障に対する脅威の変化を反映する。不偏的シビリアン・コントロールを成立させる権力とイデオロギーの間の均衡は、たとえ実現したとしても、維持することは明らかに最善の条件化においても困難なことである。・・・・ミリタリー・プロフェッションは、社会に対して保持するその決定的な重要性の故に、また国家が切迫した状態に陥ったとき行使すべきその巨大な権力の故に、他の大方のプロフェッショナルな団体より強度の緊張状態を経験することになる。かくして悲劇をもたらす必然的要因がこの関係の中に萌芽するのである。
何故なら、プロフェッショナルな成功が政治とのかかわり合いを触発し、まさにそのことによって自身の転落の芽を仕込むことになるからである。それでもなお世の中には、プロフェッショナルな能力とプロフェッショナルな服従という価値観を追求し続ける真のプロフェッショナルな人間と、それ自体を目的として権力を追求し続ける政治的な人間の二種類の異なるタイプの人間が存在する。しかもこの両者の異なる本性が、大部分の人間の中に、またすべての集団の中に共存しているのである。従ってこの両者の間の緊張状態は決して取り除くことはできない―せいぜい我慢できる程度に両者の関係を調整すること位しかできないのである。
わが国では、創設間もない明治政府において、西郷隆盛と山縣有朋が高位の文官の職(参議および陸軍卿)にありながら、高位の軍人の地位(元帥および中将)に就くという非プロフェッショナルな先例を開いた。岩倉使節団の全権副使として渡欧中の参議木戸孝允は、これを知って激しく非難し、モルトケの例も引いて、文明国では「文武の大別判然たり」とする書状を井上馨など藩の同志に書き送っている。木戸はしかし、帰朝後四年を経ずして、国体を定める最も重要な時期に早逝したため、この悪弊を打ち破ることに手を尽くすことができなかった。その後、軍人として元帥府に列せられると共に元老の地位を獲得し、明治・大正の政治を操った山縣が追い求めたもの、それは椿山荘の居室の暖炉の上に飾られたビスマルクとモルトケの二つの像が如実に物語っている。
ハンチントンは、旧体制下の日本を、一貫した政治的軍国主義国と位置付け、国家的イデオロギーとしての神道と武士道を信奉する日本の将校団を「世界で最も政治的な陸軍」、「世界の主要軍事集団の中で最もプロフェッショナルな精神を欠く集団」と断定している。その特質を「日本はミリタリー・プロフェッショナリズムの外観、つまり外部を覆う殻は手に入れたが、その本質を我がものとすることができなかった」と厳しく指摘し、戦後の日本の進路について「シビル・ミリタリー・リレーションズの方式として、一九四五年以前に優勢であったものとは外見上は異なるが、本質的には異なることのない形態が日本に出現する可能性が高いように思われる」と的確に見通している。
日本のプロフェッショナリゼーションの行く手には、たしかに「プロフェッショナルな軍の伝統の欠如」という過去の大きな歴史的障壁が立ちはだかっている。しかし、木戸孝允という時代を超越した一人の先達が存在していたことを忘れてはならない。先進諸国における例を見ても、ドイツのシャルンホルスト、アメリカのシャーマンに見るように、プロフェッショナル化に立ち上がった先進的改革者はごく少数に限られている。戦後三四半世紀を経た現在、我が国における国軍としての自衛隊は、創設以来受け続けた旧軍の影響から完全に脱している。木戸孝允の本質を見通す透徹した洞察力が点じた貴重な燎火を絶やすことなく、ミリタリー・プロフェッショナリズムの本質を我がものにすることが、激しく揺れ動く世界情勢に対処し、日本の軍事的安全保障を確立するうえでの核心的な前提条件となる。
反ミリタリー的イデオロギーはこれまで西欧社会で隆盛を極めてきた。この中で多くの軍人と軍の集団が、軍事的安全保障の要求によって、または単に権力に対する欲求によって、政治の中で支配的な役割を担ってきた。しかしながらこのことは、彼らが自らのプロフェッショナルな考え方を放棄したために可能となったことなのである。しかもこれらの軍人と軍の集団は最も優秀な人たちであった。まさにそのような優秀な人たちが政治に参加したのである。それ故往々にして彼らの姿勢は、非軍事的な集団から見て、典型的な軍の考え方を体現していると見られてきた。かくしてド・ゴール、ルーデンドルフ(Ludendorff)それにマッカーサーのような基準から外れた非軍人的な軍人が、しばしば「軍の精神」の代表例であると見做されてきた。しかし現実にこのような人物の言動をつぶさに見れば、彼らが自らの政治的任務の中で、非軍事的発想から出る種々の価値観を表明していることが見て取れるのである。
最後にハンチントンは、典型的なシビル・ミリタリー・リレーションズの型を示して議論を締めくくっている。
四.シビル・ミリタリー・リレーションズの型
権力、プロフェッショナリズム、それにイデオロギーの三要素の間の一般的な関係から、シビル・ミリタリー・リレーションズの五種類の異なる典型的な型が想定可能である。これらはもちろん、典型であり極端な型を表すものである―実際には如何なる社会のシビル・ミリタリー・リレーションズも、これらの二種またはそれ以上の型が組み合わさって実現される。五種類の型のうち三種は高度のプロフェッショナリズムと不偏的シビリアン・コントロールを可能にする―残りの二種は低度のプロフェッショナリズムと偏向的シビリアン・コントロールを前提としている。
(1)反ミリタリー的イデオロギー、強い軍の政治権力、低度のミリタリー・プロフェッショナリズム。 この型のシビル・ミリタリー・リレーションズは、ミリタリー・プロフェッショナリズムの発達が遅れているより原始的な国か、またはより先進的な国において、安全保障に対する脅威が突然増大し、軍が急速に政治権力を拡大した場合に一般的に見られる形態である。歴史的に見ると、ミリタリー・プロフェッショナリズムの制度と倫理を西欧から他国へ広めることは、憲法で規定された民主主義の制度を広めるのと同じように困難なことであった。その結果近東、アジア、それにラテンアメリカで、この型のシビル・ミリタリー・リレーションズが普及する傾向が見られた。例えばトルコを初め幾つかの国家は、政治から将校を排除し、プロフェッショナルな行動と考え方を啓発するのに非常な困難を経験した。日本は長期にわたってこの型のシビル・ミリタリー・リレーションズを維持した唯一の大国である。それはしかし第一次世界大戦時のドイツの、そして第二次世界大戦における合衆国の特徴でもあった。
(2)反ミリタリー的イデオロギー、弱い軍の政治権力、低度のミリタリー・プロフェッショナリズム。 この要素の組合せは、社会のイデオロギーが非常に強く世に浸透している結果、軍がどのようにその政治権力を弱めたとしても、そのイデオロギーの影響から逃れることができない場合にのみ現れる。現代の全体主義国家のシビル・ミリタリー・リレーションズがこの型をとる傾向がある。例えばこれに非常に近いものが第二次世界大戦時のドイツで実現した。
(3)反ミリタリー的イデオロギー、弱い軍の政治権力、高度のミリタリー・プロフェッショナリズム。 安全保障に対する脅威がほとんど存在しない社会はこの型のシビル・ミリタリー・リレーションズをとる傾向がある。歴史的にこの型は、合衆国において、南北戦争後にミリタリー・プロフェッショナリズムが出現してからのち、第二次世界大戦の初期までの間優勢であった。
(4)親ミリタリー的イデオロギー、強い軍の政治権力、高度のミリタリー・プロフェッショナリズム。 安全保障に対する持続的脅威と、軍の価値観に好意的なイデオロギーが存在する社会は、強い軍の政治権力の実現を可能にし、しかも依然としてミリタリー・プロフェッショナリズムと不偏的シビリアン・コントロールを堅持する。おそらくこの型のシビル・ミリタリー・リレーションズの顕著な例は、ビスマルク—モルトケ時代(一八六〇~一八九〇年)のプロイセンとドイツにおいて実現した形態である。
(5)親ミリタリー的イデオロギー、弱い軍の政治権力、高度のミリタリー・プロフェッショナリズム。 この型は安全保障の脅威が比較的小さく、保守的なイデオロギーまたは軍の立場に好意的なイデオロギーが優勢な社会において期待されるものである。二十世紀のイギリスのシビル・ミリタリー・リレーションズがある程度この型の傾向を示していた。