ハンチントンは、前章において、現代の国軍の将校職はプロフェッションであることを明確に宣言した。その中枢的技能は「暴力の管理」であり、国家の軍事的安全保障に対する責任を負い、自らの職域の専心確立と独占を目指すプロフェッションとして、そのあるべき姿が明確に示された。

 また、その将校の固有の技能「暴力の管理」は、武装した戦闘を勝利させることを本来の機能とする軍において、「暴力の行使を主要な機能とする人間の組織体を指揮し、作戦を運用し、統制(コントロール)することである」と明確に示された。さらに、その将校職の真髄を表すために、アナポリスにおける伝統的な訓戒「「艦隊を率いて戦え(fight the fleet)」が示されている。

 以上ハンチントンは、自らが提唱するミリタリー・プロフェッショナリズムの骨格となるべき部分を明確に提示したあと、引き続きその軍が備える倫理を明らかにし、軍の理念の本質に迫ろうとする試みへと進む。ここでは「軍の精神(military mind)」という概念を用いて議論が進められて行く。
 2-1.軍の精神とは何か
 2-2.軍の精神―プロフェッショナルな軍の倫理として体系化

 さらに、シビリアン・コントロールの形態に関する基礎理論をベースに、国家の軍事的安全保障を最大化する不偏的シビリアン・コントロールの概念が提唱される。
 2-3.不偏的シビリアン・コントロールの提唱

軍の精神と軍人精神

 ハンチントンは、「軍の精神」という我が国では馴染みの薄い用語を用いて、プロフェッショナルな軍の倫理、ひいては軍の理念を明らかにしようとしている。

 この「軍の精神」という概念・価値観は、アメリカにおいては将校団全体に浸透し定着している。ちなみに、アメリカ海軍協会US Naval Instituteのウェブサイトには、一海軍大佐が1953年に執筆した5,000語を超える論文「軍の精神とは何か?(What Is The Military Mind?)」が掲載されている。その文頭の一節を紹介しておこう。

 読者は「軍の精神などというものはあるのか?」と反論するかもしれない。 司法の精神、教会の精神、法曹の精神、医療の精神が存在するとすれば、軍の精神も存在する。 手短に言うと、社会への基礎的奉仕として、軍事分野に特化したプロフェッショナルな訓練が必要であるとするならば、軍の精神は存在する。如何なる社会においても、社会そのものの存続に必要な活動が種々存在し、それは社会のさまざまな構成員に分割され、割り当てられている。 これらの分割された活動によって、社会には一定の構造や組織が形成され、社会全体の結束が実現されるのである。・・・・・

Commander H. E. Smith “What Is The Military Mind?” May 1953 Proceedings vol.79/5/603
https://www.usni.org/magazines/proceedings/1953/may/what-military-mind

 一方我が国には、旧軍において「軍人精神」という用語が存在していた。明治天皇の軍人勅諭に示された「忠節、礼儀、武勇、信義、質素の五か条は軍人たらんもの、しばしもゆるがせにすべからず、・・・・」に始まり、「そもそもこの五か条は我が軍人の精神にして・・・・ただ一途におのれの本分たる忠節を守り、義務は山より重く、死は羽毛より軽いと覚悟せよ」の条文は、軍隊教育の核心あるいは軍隊組織の核心と位置付けられていた。

 ハンチントンは、アメリカ陸軍において、この軍人精神に類似した例を挙げている。ハーバード大学医学部を卒業し、陸軍の軍医となり、米西戦争の勃発に伴いセオドア・ルーズベルトとともに合衆国義勇奇兵隊の結成に参画し、武勲をたてて義勇軍少将になったレオナード・ウッドである。

 その後大統領になったルーズベルトにより正規の陸軍少将に任命され、第一次大戦前の4年間参謀総長を務めるという異例の昇進を遂げた。彼がウェストポイントの教育理念―沈黙と不偏の姿勢を守るプロフェッショナルな務めを説く哲学―と違っていたのは、愛国心、責任、義務への献身、男らしさの軍事的価値を強調し、軍事訓練を市民教育の一環として位置付けようとしたことであり、第一次大戦前のアメリカにおいて、積極的な国家政策の推進と軍事力の強化を図る運動の中で指導的人物となった。陸軍は、彼の異例の出世と政治的活動を嫌い、第一次大戦への彼の参戦を認めなかった。ハンチントンは次のように評している、

 軍に背を向けられたウッドは、依然として政治の世界で巻き返しを図ろうとして、一九二〇年の共和党の大統領候補指名において主要な候補者となった。しかし党大会も国民も軍人精神(the martial spirit)に嫌気がさしていた。軍にとってはあまりに政治家的であり過ぎ、政治家としてはあまりに軍人的であり過ぎたのである。同僚の共和党員たちは、普通の日常生活を望んでいたのであり、防備強化の日常生活を望んでいたのではなかった。また気楽に使えるドルを望んでいたのであり、「奮闘的生活」を望んでいたのではなかった。

ここで、”martial”という単語は、「戦争に適した、軍人らしい、勇敢な、好戦的な」という意味を持ち、言うなれば日本の軍人精神に相当する概念を表している。