『軍人と国家』を読み解くうえで、プロフェッションの概念を理解することが必須の条件となる。わが国ではなじみの薄い用語「プロフェッション(profession)」について、石村善助氏が名著『現代のプロフェッション』で示している優れた知見,見識を紹介しておこう(おもに「第二章プロフェッションとは何か―その定義をめぐって―」)。
氏はまず、一般の職業(occupation)とプロフェッションの関係を示すところから議論を進めている。
プロフェッションは職業(occupation)である 今日では,プロフェッションも,これをひろく職業(occupation)一般という枠組みの中で考察することが重要であると思われる。なぜならば,今日では,ほとんどの場合において,プロフェッションは職業=生業としておこなわれているのであり,いずれのプロフェッションも,他のノン・プロフェッションとともに,人びとの職業選択の対象とされているという事実を無視しえないからである。ここでは,プロフェッションも,広い意味での「職業」の一種であるという前提から考察を進めていこう。
石村善助『現代のプロフェッション』至誠堂 1969年 以下同じ
職業=生業とあるように、氏は現代社会における職業を、「常識的な職業観,すなわち職業を,人がその生計を維持するために継続的に従事する活動である」と位置付けている。そのうえで、職業およびプロフェッションをさらに深く立ち入って考察するために、Arthur Salz: Occupation, Encyclopedia of Social Sciences, vo1.11, P.424ff.等を参考文献に挙げて、「①技術的側面,②報償―経済的側面,③社会的側面,の3つの側面に分けて,それぞれの側面から考察を進めることにする」として、
プロフェッションについて,以上の3つの側面から考察を加え,その特徴を描き出してみよう。まったくの無前提では,考察を進めるのに不便であるので,最初に考察の手がかりとして,プロフェッションについてつぎのような仮の定義を与えておこう。
プロフェッションとは,学識(科学または高度の知識)に裏づけられ,それ自身一定の基礎理論をもった特殊な技能を,特殊な教育または訓練によって習得し,それに基づいて,不特定多数の市民の中から任意に呈示された個々の依頼者の具体的要求に応じて,具体的奉仕活動をおこない,よって社会全体の利益のために尽す職業である。
このように定義したあと、上記の3つの側面からプロフェッションの特徴を描き出している。
技術的側面
i)公益奉仕を目的とする継続的活動
プロフェッションの活動は公益奉仕を目的とする。医師にせよ弁護士にせよ,その活動は社会の公益のためを目的とするものである。この点で,反社会的行為をおこなうギャングや殺し屋などに,プロフェッションやプロフェッショナルという言葉を用いることは,言葉の濫用であり,堕落(デカダンス)であるといってもよいであろう。公益奉仕のためである,ということは,それが私益追求のためのものでないことを意味する。その点で,私益追求を第一義的にかかげる企業活動,ビジネスと異なるのである。
ii)科学や高度の学識に支えられた技術
プロフェッションの活動の基礎をなす技術は,科学や高度の学識に支えられたものであり,その技術の行使自身につき一定の一般理論が存在している。・・・・プロフェッションは専門的技能(expertise)をそなえたエキスパートでなければならない。・・・・しかし,専門的技能を身につけているというだけでは,プロフェッションを他の職業から区別することはできない。プロフェッションの場合は,その技能が科学または高度の学識に裏づけられている点に特色がある。iii)技術の使用自体を支える一般理論が必要
しかし,特殊技能を裏づけるものが科学または高度な学識である,というだけではまだプロフェッションというには不十分であろう。さらに,そのような特殊技能の使用自体にそれを支える科学的一般理論が存在しなければならない。・・・・プロフェッションは,それ自身の活動を基礎づける一般理論をもつことによって,科学の成果の単なる利用ではなく,科学それ自体から独立した独自の存在をかちうるのである。この一般理論あるいは科学は,プロフェッション科学(専門職科学professional science)といってもよいであろう。・・・・―プロフェッションは,その活動のために,一般理論(専門職科学)をもたなければならない―ということは,プロフェッション問題のキイ・ポイントである。
このプロフェッション科学は当然、現代の基礎科学の目覚ましい発展と競合するように高度化の道を歩み続けなければならない。その結果、
プロフェッションがプロフェス(公示)する技能は,高度に知的かつ科学的なものである。したがってそのような技能の習得のためには,一定の特殊な教育・訓練(プロフェッション教育)が必要であり,そのような特殊な教育訓練をうけて一定の能力をもつと認定されたものに対してのみ,国家(あるいは社会)は,その領域においてプロフェッションとして活動することを容認するのである。したがって,プロフェッション的活動は、誰にでも許されるものではなく,一定の教育・訓練をうけ、能力ありと認定をうけ活動のための証明書(ライセンス)をうけたもののみに許されるのである。しかして,そのようなライセンスを得,そのような活動をなしうる特権を国家(社会)より与えられたもののみが,排他的に,独占的に・そのような活動をなしうるのである。
今日どのプロフェッションも,このような資格認定制度(ライセンス制度)をもっており,ライセンスを得たものには,排他的にその活動をなしうるという特権が与えられるのが普通である。今日では,プロフェッションとなるための資格は,かなりに要件が厳格でありかつ高度である。資格取得のためには,一定基準の能力を必要とされ,その能力獲得のためには、きめられた一定の特殊な教育と訓練とをうけなければならない。
次いで第二の側面について、
経済的側面
つぎに特殊な教育・訓練をうけて身につけた技能を公共奉仕のために実施するプロフェッション活動の具体的過程,およびその活動に対し与えられる報償について,その特色を考えていくことにしよう。
i)プロフェッション・サービスの開放性
まずプロフェッションの活動は,社会のすべての人―不特定多数の人―に開放され,誰でもがその提供するサービスを享受することができる,というのがその基本的特徴である。それはまた逆の面から,プロフェッションは,なんぴとに対しても,そのサービスを拒否してはならないこととなるのである。ii)一対一の契約で
プロフェッション活動は,上述のように,天下万人に対して開放されているが,その具体的活動は,特定の依頼者の具体的要求に対して,一対一の関係(契約関係)を通じて個別的におこなわれるのが原則である。・・・・プロフェッションは,抽象的原理を単に原理として売るのではなく,依頼者の提示する要求に合致し,その利益のために,その満足のいくような形のサービスとして,依頼者に提供するのである。
iii)利他主義と中立主義
プロフェッションは,原則として,なんぴとにも従属せず,自由業としておこなわれる。それはいわゆる主人もちの職業ではない。彼は,特定の依頼人とのケース・バイ・ケースの契約に基づいてそのサービスを依頼人に対して提供し,そのことを通じて公共一般に奉仕するのである。公共への奉仕というプロフェッションの基本的立場は,彼の行動に対してさまざまの行動原理を提供し,要請する。・・・・彼の行動は,①営利を追求するものであってはならないこと,②依頼者の主観的・私的情況の中にまき込まれてはならず,常に中立的でなければならないこと,の2つの点をあげるにとどめよう。営利を追求してはならないということ,これはプロフェッションの行動を,他の活動とくに営利追求をその核心とするビジネスの世界の行動から,区別する重要な点である。プロフェッションについては,利他主義(Altruism)ということがいわれる。それは,ビジネスについて利己主義(Egoism)が説かれるのと対照をなしている。
しかし,この点については,のちにふれるように,現在のプロフェッションには,さまざまの面で,さまざまの型体で,利己主義営利主義,商業主義の侵入がめざましいことを見逃してはならないのである。極端にいえば,現代のプロフェッションの問題は,この営利主義の侵入,それによる利他主義の変質あるいは崩壊,という問題の検討をぬきにしては理解できないということは,いくら強調してもすぎることがないと思われる。
最後に第三の側面について
社会的側面―団体としてのその活動
プロフェッションの活動は,前述のように,一対一の個別的関係を通じておこなわれるのが原則である。しかし,プロフェッションがプロフェッションとして社会的に承認されその社会的地位を得るためには,それが1つの集団として社会に存在し活動し,社会より集団として承認されることを要する。プロフェッションは,かくて団体を形成し,団体的に行動するのであり,このように団体的に行動することによって,社会的地位を得るのである。・・・・プロフェッションの場合はその団体(職業団体)が,単なる同業組合的,親睦会的なものではなく,まず第1には,プロフェッション性獲得のための―プロフェッションとしての社会的承認を獲得するための―政治的団体であること,第2に,プロフェッションとしての技能の教育,訓練,維持,向上のための基本的な責任を負う団体であること,第3に,メムバア(個々のプロフェッション人)の行動を規制しときにはその非行に対して懲戒を加える,いわゆる自己規制の団体である点にその基本的特徴をもっている。
i)プロフェッション化の政治過程
第1の点で,団体はプロフェッション化(professionalization)のためにメムバァを,糾合し,結合し,団結し,その目的のために教育し,訓練しなければならない。それは優にひとつのはげしい内・外にむかっての政治的過程である。ii)資格付与と教育訓練
つぎに,プロフェッション団体はその第2の特徴として,専門技能の維持向上および訓練教育という機能をもっている。団体はプロフェッションとなるための最低資格,そのための教育訓練,試験制度をきめる。・・・・団体の教育機能は,資格付与後の個々のメムバアにも及ぶ。いわゆる継続教育(continuing education)の問題で,各団体はたえず科学の準歩と社会の要求とをにらみあわせながら,みずからの専門技能の練磨水準の向上をはかり,社会の彼らによせる期待,信頼に的確に答えようとしている。iii)倫理的自己規制
団体の第3の機能として,職業倫理,懲戒の問題がある。団体はその職種の社会的存在意義を確保し,向上せしめるために,そのメムバアの行動に対し常に規制を加えなければならない。おのおののプロフェッションは,その職種活動を遂行するについての倫理規則をもっている。それらは,ときには,団体により文章化されて倫理綱領とされ,メムバァに対して公表されている場合もある。国家制定法の中にとり入れられて法律上の規律の対象となっているものもある。・・・・プロフェッション倫理(綱領)の内容は多岐にわたる。一般には,依頼者との関係に関連するものが主たる内容をなすことが多いが,その他仲間相互や社会一般に対するものもふくまれることがある。注目すべきことは,書かれた文章になったもののみが,プロフェッションの守るべき倫理ではないのであって,一般市民において有形無形の道徳律を守ることが要求されていると同様に,プロフェッションの場合にも,そのような書かれない倫理規則が実際に存在し,その行動を規律しているのである。
以上、プロフェッションとは何かという問いに対する石村善助氏の基本的な考え方を見てきたが、同時に氏は、プロフェッションを如何に定義するかという現実問題の複雑さを指摘し、多数存在するプロフェッションの定義の実例を次のように挙げている。
プロフェッションの特質を,ただ2項目だけあげるにとどめるもの(グード),3項目あげるもの(ブランダイス,パースンズら),4項目あげるもの(バーバーら),さらに5項目(グリーンウッド,ボエームら),6項目(フレックスナー,ライトら)と,多数の項目をあげるものがあることを指摘するだけで十分であろう。・・・・このように定義が幾種頬も提出されているのは,個々の発言者や研究者が,それぞれ自分自身の問題,関心または理論的根拠に基づいて,定義をこころみているからである,と思われる。
ちなみにハンチントンは将校がプロフェッションであることを3項目を挙げて定義している。