ハンチントンは、ミリタリー・プロフェッショナリズムの構想とともに、軍事と政治の間の関係に関して、国家の軍事的安全保障を最大化する特別の型「不偏的(objective)シビリアン・コントロール」の概念を、本論に先立ち「序文」において提唱している。
序文ではまず、その前提として、「シビル・ミリタリー・リレーションズのシステムはすべて、一方で軍事集団の、他方で非軍事集団の、権威、影響力、イデオロギーの間の複雑な均衡の上に成り立っており、その均衡は限りないほど多様な形態をとる」とし、そのため方法論的に第一に「相互依存している各種要素より成る一つのシステムとして研究すべきである」としたうえで、不偏的シビリアン・コントロールの概念を次のように提示している。
次に本書の第二の方法論的な前提として掲げることは、軍事制度の性質と目的に関し一定の前提を置くことから出発して、軍事的安全保障を最大化する特別な均衡の型、「不偏的シビリアン・コントロール」を理論的に定義することが可能である、ということである。このように定義された標準の型を用いれば、すべての社会のシビル・ミリタリー・リレーションズのシステムを評価し、それがその社会の軍事的安全保障を強化するのか、あるいは弱体化するのか、その程度を分析することが可能となる。また、社会のシステムを不偏的シビリアン・コントロールという均衡状態により近付けようとすれば、その際必要となるシステムの諸構成要素の変革を提案することも可能となる。
この不偏的シビリアン・コントロールの概念は、国家の軍事的安全保障を最大化するための指標の位置付けを担うという意味で、ハンチントンの理論において第二の重要な命題に位置付けられる。詳細は「2-3.不偏的シビリアン・コントロールの提唱」で述べる。
ここで、現代国家における政治と軍事の間の関係において、軍事が政治に従属しなければならないとする、いわゆるシビリアン・コントロールの理論的正当化に対して、クラウゼヴィッツが果たした貢献を紹介して置こう。ハンチントンは第一章において、将校職がプロフェッションであることを明確に宣言したあと、引き続き第二章において、西洋社会におけるミリタリー・プロフェッションの出現の歴史的過程を分析・概観し、この過程でクラウゼビッツが果たした偉大な役割を次のように述べている。
極めて著名なクラウゼヴィッツの格言によれば、「戦争は種々複合した戦争以外の諸手段をも含む政治的関係の継続状態に他ならない」。要するに戦争は「それ自身の文法を持っているが、それ自身の論理は持っていない」のである。
クラウゼヴィッツによるこの自律的でしかも手段の科学としての戦争の概念は、戦争における専門家の役目に関しても当然同じ理論が成り立つことを示している。戦争がそれ自身の文法を持っているということは、この文法に関するミリタリー・プロフェッショナルの専門知識・技能の習得が、当然外部からの干渉なしに行い得なければならないことを要求しているのである。
本来「軍の軍事的価値」は、その軍がまさにこれから戦おうとする理由の中に見出すことはできない。それはちょうど弁護士の技能が、その依頼人の法律上の人の如何によって評価されないのと同じである。ある一つの軍事組織に本来備わっている固有の特質は、その組織の外部要因には依存しない独自の軍事的基準によってのみ評価され得るものであり、軍事組織の利用目的は、その軍事組織を評価するための項目には含まれないのである。「戦争の政治目的はまさに戦争の領域の外側にある・・・」のである。従って、戦争はそれ自身の論理と目的を持っておらず、それ故軍人は常に政治家に従属しなければならない。戦争を遂行するのはあくまで後者の責任である。何故なら戦争遂行は「国家政策に対して、より大局的立場に立った鋭い洞察を必要とする」からである。
政治的観点が軍事的観点に従属するのは不合理である。何故なら政策が戦争を引き起こすからである―政策は知的な能力であるが、戦争は手段に過ぎない。その逆ではないのである。従って軍事的観点が政治的観点に従属するのが唯一可能な選択肢なのである。
陸軍大臣は詳細な軍事知識を身に付ける必要はない。実際はむしろ軍事知識の豊富な軍人の大臣がしばしば粗末な大臣となるのである。軍事的判断は、もちろん必然的に、政治目的との間で相互に影響し合う関係にある。・・・・しかしながら、最後は政策が統轄しなければならない。確かに現実において、政策が「間違った方向に向かい、野心的目標、個人的利益、あるいは統治者の虚栄心を追い求めることがあるかもしれない」。しかしそれは軍人には関係のないことである。軍人のなすべきことは、政策は「社会全体のすべての利益を代表するもの」であると弁え、単にそれに従うことである。以上示した通りクラウゼヴィッツは、ミリタリー・プロフェッションに関する最初の理論的根拠を定式化する中で、同時にシビリアン・コントロールに関してもその最初の理論的正当化に貢献したのである。