『軍人と国家』を読むにあたってとくに留意しなければならない重要なポイントは、「プロフェッション」という西欧文明に固有の職業概念を理解することである。しかるに、この西欧文明の精華ともいうべき価値観「プロフェッション」は、我が国では終始極めて馴染みの薄い概念に留め置かれて来た。義務教育から大学を通してカリキュラムの範囲外とされて来たのである。日本でプロフェッションというと、まず「アマチュア」に対する「プロ」を表すことに使われる。プロ野球選手とかプロテニス選手という使い方である。さらに近年は、ある特定の分野で高いスキルを持ったエキスパートを指す言葉として、金融のプロフェッショナルとか営業のプロフェッショナルとか、極端な例では、殺しのプロフェッショナルというような使い方が広く見受けられる。

 職業社会学とも呼べるこのプロフェッションにかかわる学術研究分野は、西欧では数世紀にわたる歴史的背景を持ち、法学、倫理学、政治学、社会学等幅広い分野にまたがる奥行きのある学際領域を形成している。ちなみに我が国における古典的名著『現代のプロフェッション』(吉村善助:至誠堂 一九六九年)はプロフェッションを次のように説明している。

 西欧社会において「プロフェッション」という言葉が用いられる場合には、そこでは単なる「職業(occupation)」ではなく、職業の中で、ある種の特色をもった職種が語られている。・・・(中略)一般に西欧社会では、古典的プロフェッションとか、知的プロフェッションと呼ばれる三つの職種、すなわち、聖職者、医師、弁護士が元々の意味でのプロフェッションであったのである。・・・(中略)聖職者、医師、弁護士をプロフェッションとよぶ言い方は、すでに一七世紀には存在していたといわれている。もっとも、プロフェッションという言葉自体は、それ以前から用いられていたようで、当時においてはもはや新しい言葉ではなかった。すでに、その最初の使用例は一五四一年に遡って存在しているとのことである。                    

『現代のプロフェッション』(吉村善助:至誠堂 一九六九年)

このように西欧社会では、我が国の江戸時代の初期に当たる時期にはすでに聖職者、医師、弁護士をプロフェッションと呼ぶ言い方は存在していたのであり、最初に使用されたとされる時期はポルトガル人による種子島への鉄砲の伝来の時期に当たる。

 またプロフェッションの定義を次のように示している。

 プロフェッションとは、学識(科学または高度の知)に裏づけられ、それ自身一定の基礎理論をもった特殊な技能を、特殊な教育または訓練によって習得し、それに基づいて、不特定多数の市民の中から任意に呈示された個々の依頼者の具体的要求に応じて、具体的奉仕活動をおこない、よって社会全体の利益のために尽す職業である。

『現代のプロフェッション』(吉村善助:至誠堂 一九六九年)

ここに見るように、西欧社会においては、聖職者、医者、弁護士の三職種を古典的プロフェッションもしくは知的プロフェッションと呼び、社会生活を営むうえでの精神・身体の保全性の確保や、社会正義の促進等、「社会の成立そのものに必要不可欠な職業」、あるいは「社会が正しく機能するために必須の職業」として位置付け、他の一般的な職業とは峻別した特別なステータスが付与されているのである。

 序章で示したようにハンチントンは、「現代の将校はプロフェッションである」とする着想をクラウゼヴィッツの「戦争の科学の2元性の原理」に得ているが、実際に「将校がプロフェッションである」ことの実証は、以下に示すように、西欧社会で形成・蓄積された上述の職業社会学における幅広い成果を用いている。

 なお、プロフェッションについては、吉村善助氏の『現代のプロフェッション』の要部を紹介してあるので参照されたい。