はじめに、基本的な価値観として、プロフェショナルな軍は人間をどう観るのか、

 ミリタリー・プロフェッションの存在は、人間の相反する利害の存在およびその利害を増大するための暴力の行使の存在を前提とする。従って軍の倫理は、争いを人間性全体に及ぶ一つの普遍的な傾向であると見る。また暴力を人間の生物学的かつ心理学的な不変の本質に根ざしていると見る

 人間の中の善と悪のどちらをとるかといえば、軍の倫理は悪をとる人間は利己的であり、権力、富、そして安全への衝動によって動かされる

 人間の中の強さと弱さのどちらをとるかといえば、軍の倫理は弱さをとる。人間の利己主義は結果として争いをもたらすが、人間の弱さの故に、争いに勝利するために組織、規律、統率力リーダーシップに頼らなければならない。クラウゼヴィッツが言うように、「すべての戦争は人間の弱さを前提としている。そして戦争は人間の弱さに向けられる」。・・・・ミリタリー・プロフェッションは、人間に内在する恐怖と弱点を克服せんがために人間を組織化する

 戦争行為に内在する不確実性と偶然性、それに敵の行動を予測することの困難さの故に、軍人は人間の先見性と統制の及ぶ範囲に懐疑的である

 人間の中の理性と不合理性のどちらをとるかといえば、軍の倫理は理性の限界をとる。人間の最善の制度でさえも、現実世界の中に内在する「摩擦」によって打ち砕かれる。「戦争は不確実性の領土である」とクラウゼヴィッツは言う。・・・・さらに人間の本質は普遍的で不変である。すべての場所のすべての時代の人間は基本的に同質である

 このように人間に対する軍の見方は明らかに悲観的である。人間は善良さ、強さ、そして理性を備えているが、同時に邪悪で、弱く、不合理である。軍の倫理の人間の見方は本質的にホッブス的である

 ついで、プロフェッショナルな軍は社会をどう観るのか、

 ミリタリー・プロフェッションが存在するかどうかは、互いに争う国民国家(ネーションステート)が存在するかどうかに懸っている。プロフェッションの責任は国家の軍事的安全保障を強化することである。この責任を全うするためには、協力、組織、規律を必要とする。

 軍全体として社会に奉仕するのが軍人の義務であり、さらにこの義務を果すために彼が用いる手段の本質的性格の故に、軍人は個人よりも集団の重要性を強調する。如何なる活動においてもその成功のためには、集団の意思に対して個人の意思を従属させることが必要となる。伝統、精神(エスプリ)、団結、共同体―これらは軍の価値体系の中で高く評価される要素である

 将校は軍のために必要なことを優先させ、自身の個人的な利益と欲望を押さえ込む。・・・・人間は著しく社会的な動物であり、グループ内でのみ生き、グループ内でのみ自身の身を守ることができる。最も重要なことは、人間が自分自身を認識することができるのは、グループ内においてのみである、ということである。・・・・要するに軍の倫理は元来気質的には共同体的である。それは基本的に反個人主義的である

 さらに、歴史に対する軍の観方は、

 軍の見方では、人間は経験からしか学ぶことがでない。人が自身の経験から学ぶ機会がなければ、他人の経験から学ばなければならない。従って将校は歴史を学ぶ。何故なら軍の歴史はモルトケの言うように、「平時に戦争を教える最も有効な手段」であるからである。このように軍の倫理は、整然として目的にかなった歴史の研究に並外れた価値を置く

 歴史は、それが将来利用可能な原則を導き出すことに使われるときに限り、軍人にとって価値があり、従って軍における歴史の学習者は、自らの学習内容から絶えず一般概念を引き出そうとする。しかし軍の倫理は特定の歴史理論に束縛されることはない。

 軍の倫理は、一元的な判断を否定するが、イデオロギー的要因および経済的要因との対比において、武力的要因の重要性を強調する。人間の本質の不変性はすべての進歩の理論を否定する。「変化は必然である。進歩は必然ではない」のである。歴史に基本形があるとするならば、それは本来周期的なものである。文明は興隆し衰亡する。戦争と平和は交互に訪れる